奈々氏の良い加減でいこう

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zoom RSS 私の学校の様子 特別支援学級その7 の続きのその2

<<   作成日時 : 2006/01/24 23:14   >>

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 さて,NANAさんからいただいた宿題の一つに交流がもたらすものをと,交流学級(親学級って言ったほうが分かりやすいでしょうか)の子にとっての意味について,少し書きたいと思います。また,低学年の子どもたちと高学年の子どもたちの交流についても少し触れたいです。

 私のクラスのやんちゃ坊主たちは,結局卒業までちょくちょく特殊学級にお邪魔して,Bさんとの交流が続きました。交流学級ではないので,休憩時間だけのふれあいでしたが,私の子どもたちにとっては,心の安らぎを得させていただいていたのではないかと思います。自分たちからBさんのところに行って休憩時間をすごすということは,サッカーやドッジボールなどのスポーツと同じぐらいの魅力がそこにあったはずです。意図して交流を持ったわけではないですが,結果としては,私の子どもたちにとって,Bさんとの時間は,ほっとする時間,温かい気持ちを実感できる時間となったと思います。もちろん,それがすぐにどの子にもそのような想いで接することができるようになるとは,かぎりませんが。でも,少なくとも,自分より小さい者,障害を持っている子に対する温かい気持ちを感じてくれていたと思います。
 さて,交流学級についてです。特殊学級の子どもたちと一緒に授業をやるには,やっぱり事前の準備と打ち合わせが必要になります。これはやって当たり前ではないかと思います。そして,交流教育の目的。。。何かを目的として交流をする必要があるのだろうか?と思います。同じ学年,同じ学級に属しているのです。一緒にやれることを一緒にやるほうが当たり前ではないでしょうか?ただ,そうは言っても結構辛いのが,特殊学級の子の学年がばらばらのときの交流の組み方です。特殊の担任は,やっぱり交流学級の授業にも子どもたちに寄り添っています。しかし,一人の担任に子どもは複数といった場合は,大忙し。自分の学級に残す子の対応とついていく子の学級との打ち合わせ。時間の割り振り。こんなことが結構大変です。だから,特別支援教育の方針や考え方はそれほど疑問を持ちませんが,運用方法については疑問どころか,はっきり言って現状のスタッフでやれというのは無理だと考えてます。話がそれました。戻します。交流学級に迷惑がかかるという考えはしなくてもよいと思います。当然,パニックになったり,走り回ったりというのは困るのですが,そうならない対応や準備を進めておくのが当然だと思います。また,そうなってしまっても,一度落ち着けるところへいってみるとかすればよいことです。
 最後の話題です。親学級の学年による差について。個人差があることと私見であることは大前提です。低学年の子どもたちは,基本的に自分のことしか見えません。だから,他の子のことはあまり考えていません。だから,どんな子にも怒るし,どんな子にも優しく接します。よって,特殊学級の子と勉強しても平常心です。大事なのは自分のことだけだから。ある意味,理想的に交流ができます。空気のような自然な関係で接します。中学年からは周りが見えてくるので,自分と人とは違うということに気付きます。が,友達を求め始めるので,相手のことを考えずに接していくことも多いです。自閉の子にとっては,この学年から急に交流といわれるとパニックになるかもです。そして,高学年。上記のような関係になる場合もあります。しかし,悲しくなるような態度をとってしまうこともあるのが高学年です。誰でも同じようにやることを当然と思っている子に,そういう子が多い気がします。ただ,きちんと説明すればそれなりに対応できるようになるのも高学年からです。

 まとまらない内容になってしまいましたが,最後に,卒業式の日の出来事を書いて終えたいと思います。卒業式の日,1〜3年生とはお別れの式でさようならです。当然,Bさんもここで下校。6年生はその後教室から体育館に入り4,5,6年生で卒業式を行います。お別れ式を終え,卒業式の会場に入る前にしんみりと話でもと思いながら教室へ入ると,例の男の子たちがベランダに出て何かしてます。3階だから危ないので出るなっていつも言ってるじゃない!と思って声をかけようとして窓の外を見ると,Bさんがこっちにむかって手を振っていて,うちの子どもたちとさようなら〜って最後のお別れをしていました。もちろんうちの子どもたちも返事を返していました。たぶん,私にとってずっと忘れられない彼らの後ろ姿だと思います。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
素敵な卒業式の話が聞けてうれしいです。
私は、『どの子にも同じだけ関わりを持たせよう』的な全体の取り組みが…。もともと誰相手でも?それはうまく行かないのでは?と、考えさせられています。
『公平に』という所に固執してしまうがために、単に窮屈なだけで…。窮屈さへの子どもの反発を受け止める際にもやはりまた『公平に』が出てくるジレンマ。。。教育を目的としている集団の中での取り組みとして始めたはずが?もともとの狙いが何だったのかすら見えなくなってしまう事。今回の交流の話しに限らず、いろんな場面でこれがあるのではないだろうか?と、感じています。
NANA
2006/01/25 00:55
自分がやりたいこと興味のあることは何なのか?自分が付き合いたい関心のある友人は誰なのか?やっていて楽しい事、一緒にいて心地よい相手。
大きな集団の中で、これを探そうとする事は誰にとっても自然な事。それを、まんべんなく何でも!誰とでも!というやり方では?いささか無理があると思っていました。

奈々氏さんの学校の様子は、学校全体の対応として不自然さを感じない。普通級の子にも自然な交流ができている様子に感じました。周囲の先生方の対応の自然さは?支援級の先生の熱意とご努力だけからでは生まれないように思います。しかし、核の役割をしっかり果たしている支援級の先生はすばらしいですね。
NANA
2006/01/25 00:57
>事前の準備と打ち合わせ
現状でも、これができない学校は多いのでは?または時間はなんとか持っていても職員間の共通認識は生まれていないのでは?と感じています。
土台のところで大勢の先生方が子どもの自然にわいてくる興味・関心をキャッチしていこう。といった発想をお持ちなのではないのですか?
支援級の先生のクラス内での取り組みは、その延長線上にあるため、ハッキリと見えやすい。が、他の先生も土台のところは共通の何かを持ってらっしゃるのでは?
奈々氏さんの学校の様子を私はそんな風に感じました。
学年別の物の見方・友人との関わり方のお話は、つたない母としてもとても参考になりました。
ありがとうございました。
NANA
2006/01/25 00:57
交流学級は音楽や体育など他のものに比べれば比較的無理なく一緒に学習できるものが選ばれているはずです。だから,その点で交流ということ自体を目的としなくても良いのではと感じます。授業をやることが目的でよいのではと思います。当然,一緒にやるなかで,かかわり合いが生まれてくるのですが,こちらが第1の目標と考えなくて良いのでは,とこのごろ思います。うちの学校の特殊を受け持たれている先生には,いつも迷惑をかけています。行事の連絡の遅れなんて本当は特殊の担任からすれば大打撃です。急な変更と事前の準備なしの参加。特殊の子にとって一番ハードルが高いものですよね。。。
奈々氏
2006/01/25 23:03
事前の準備と打ち合わせは,やっぱり大変です。今年は低学年なので,下校させて付き添っていって帰ってきても,部活動が始まるまでに30分とか時間があります。ですので,そこで,情報交換や打ち合わせができます。特殊の先生は6限まであることも多いので,あとで打ち合わせとなるんですが。ところが高学年になるとこうはいきません。6限まで授業があってその後,部活,学年での話し合いの時間が持てるのは,夏だと6時過ぎ。。。ちょっと話が長くなると8時とかになって,そっから自分の仕事。家に帰れねぇ〜。って感じです。><
奈々氏
2006/01/25 23:10
最後に,親学級の学年による違いですが,あくまでも,私はそう思っているということですので,一般化されるかは分かりません。
奈々氏
2006/01/25 23:17

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