奈々氏の良い加減でいこう

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zoom RSS 「教育の窓・ある退職校長の想い」の記事を読んで 特別支援教育その5

<<   作成日時 : 2006/01/22 13:54   >>

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 尊敬する方のブログに次のような記事がありました。引用文1行目のこういう思いというは,隔離されている,厄介者扱いされているという思いであると私は読みましたが,元記事を確認していただきたいと思います。

<教育の窓・ある退職校長の想いより引用>
 多くの障害児の保護者が、個別支援級に対し、こういう思いをもたれていることは、承知している。したがって、入学前に、面接とか、体験入学とか実施するが、こうした誤解を解くための相互理解を図ることから始める。
 入学してすぐ、個別支援級担任だけでなく、交流級の担任とも面接してもらい、一人ひとりに合った交流計画を、時間をかけて策定していく。と同時に、個別支援級担任は、保護者と話し合った上で、一人ひとりの『個別支援教育計画』を策定する。何をねらい、何を学習内容としていくかの計画である。

 決して隔離ではない。個別支援級では、『できそうなこと、どんどん伸ばしていけそうなこと、好きなこと』を中心に、無理なく、学習がすすめられるよう配慮する。もちろん、ここでも社会性を育むこともねらう。

 また、交流級では、『ふつう級児童とふれあうことにより身につくと思われる社会性』を育む。また、どんな学習でも交流するというわけではないので、ここでも、『できそうなこと、のばしていけそうなことも、ふつう級児童の応援、支えを受けながら』実現をねらう。<引用終わり>


 私も,特殊学級を勧めた保護者の方との考え方の違いに大きな隔たりを感じました。Aちゃんは,とても優しく,生活をしていく上でそれほど困っていなかったが,高学年で私が担任したときには,国語や算数,社会などの学習は完全に他の子どもたちとは別学習でないと無理という状態でした。また,手先が不器用で字を書いたり,はさみを使ったりすることがあまりうまくできませんでした。2年生のころから特殊を勧めつつも担任の手厚い個別指導と友達の助けもあり,中学年までは何とか居心地よく学級にいられました。しかし,高学年になり,友達も忙しくなり,毎日が6時間授業,私も個別に対応する時間もままならないという状態にAちゃんは困ってしまいました。
 で,保護者の方は,担任である私に要望を出されるのですが,勉強は良いから,生活を一緒にというお話でした。高学年ともなると,学級の子もAちゃんのことを理解して考えて行動してくれるのですが,やはりどうにも追いつかないのです。(低学年や中学年のかかわり方とはやや違ってくるように思えますが,これについては別のところで)委員会,遊び,勉強全ての面できっとAちゃんはストレスをためていったのです。家庭で学校に行きたくないとか,おもしろくないということを言い始めました。特殊の教員もAちゃんの実態を知っているので,ずっと保護者の方に特殊で学習をしませんかと声をかけてきましたが,この声は,保護者の方には届きませんでした。特殊の授業も参観されましたが,作業を通して力を伸ばす,生活していく力を身につけつつ学習を進めるという考えに賛同していただけませんでした。なぜ,算数をやらないのかと。漢字を覚えないのかと。保護者の方の意識は取り出しての教科の指導を求めていたのです。でも,特殊の先生方が考えることは,まず,その子が自立して生活できる,生きていくことができるようにするということです。そのために必要なことを考えます。一人ひとりの子の実態に合わせて考えます。狙っているところが違うのです。。。
 で,以前も書いたと思うのですが,6年進級時がぎりぎりの中学卒業後の進路を考えられるリミットだとの特殊の担任の話をやっと受け入れてくださった保護者の方が,特殊への入級を認めてくださいました。特殊の先生からするともっと早く来てくれていればとの思いが強かったのですが,でも,どうにか進路も決まり無事,中学校へと進学しました。高校進学や就職への道もひらけました。

 隔離ではないのです。厄介者でもないのです。どんな子も得意,不得意がある。それにあった教育をすすめていくことが個別支援の基本的な姿勢なのではないでしょうか?ADHDの子には落ち着ける座席配置を考える。PDDの子には,早めに指名をする,何度も指名する。。跳び箱が苦手な子は,手よりも肩が前に出る感覚を経験させる。同じように,自信を持ってみんなと交流学級で学習できるように,年間の計画を立てて特殊の子の力を伸ばすのが,よい方法だと思うのですが違うのかなぁ。。。高学年の教室で一人だけ2年生の漢字練習をしていることがどれだけ苦痛か分からないのかなぁ。。。できることを増やして自信を持たせていくことが大切だと思うのですが。。。特殊に在籍せず,必要なときに取り出せばよいじゃないかとも要望を受けます。でも,それだと,特殊の担任は,その子に合った年間計画を立てたり,生活単元の学習を組むことができない(?認識が違っているかも)。結局,どっちにいるときも力が伸びないという状態になってしまいがちです。交流学級で主に狙うところと,特殊学級で主に狙うところは違うのです。その子に合った方法を選択することが一番ではないかと思うのです。ただ,交流学級は,お客さんになりがちであるという指摘は高学年になるほど,否定できない部分があるかも知れません。
 しかし,1年生の担任をしている今,1学期には,他の子と手をつないで帰るなんて考えられなかった自閉症の子が,下校のときに母親から手を離し,自分から班長の子と手をつないで帰っている姿を見かけます。手をつないでいる子も当たり前のように一緒に帰ってます。交流の意義は,ここにこそあると思います。この子たちは,きっと高学年になってもこのような関係でいてくれると信じています。

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人権教育(4) 交流教育
 14,17の両日、交流教育について記事にしたところ、Hidekiさんが、本記事にかかわるかたちで、ご自身のブログに記事を掲載された。大変膨大な中身で、わたしはそれにコメントさせていただいたが、とても言いきれない思いがして、本日はここにコメントさせていただく感じで、... ...続きを見る
教育の窓・ある退職校長の想い
2006/01/22 21:18

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして、こんにちは。
15歳の自閉症児をもつ父です。Toshi さんの記事の「こういう思い」という部分を書いたのは私です(汗
ご指摘の特殊クラスへの編入という点は、結構複雑な思いがつきまとうんです。うちの場合は最初から特殊クラスという前提で、いろいろな学校をみてまわりました。校長から担任から、直接話をきいて。
誤解を恐れずに言えば、なまじっかできちゃう子ほど、親は「普通ということ」への呪縛からのがれられないのです。まず、そこの思い・感情をわかってあげて欲しいのです。
Hideki
2006/01/22 14:42
実際には、奈々氏さんのおっしゃる通り、子どもの心にかかる負荷が重く、良い結果には結びつかない可能性が高いと思う(勿論、その障害の程度によりますが)。
ただ、今まで(中学年まで?)できてきただけに、これからもできるように思ってしまう。隔離じゃない、と先生がいくら言っても、できない「落ちこぼれ」という烙印を押されてしまう、そんな気持ちになってしまうんだと思うのです。
障害の受容ということに、時間がかかる親はいます。それは、無理からぬことでもあります。うちの場合は3歳のときに発覚しましたし、その時に出会った人が大きな羅針盤となりましたが、子どもが大きくなった段階で直面したときの動揺は大きいと思うのです。
Hideki
2006/01/22 14:43
あと、一点だけ。これは私も今でも感じていることです。自閉症児の将来は、作業を通して力を伸ばす、ということしかないのだろうか…?
本当にその子にあわせた指導・教育(療育)ということなら、その子のさまざまな将来に導くようなものにして欲しいと思うのです。親は、わが子の将来を、「最低限のことができる」という安心よりも、「いろんな可能性がある」という希望でもってとらえたいのです。安心で不安を消すのではなく、希望で不安を消したいのですよ。

この事については、中学1年のときの担任の先生と話しをしたことが、とても印象に残っています。
http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-18.html
Hideki
2006/01/22 14:43
Hidekiさん,はじめまして。コメントをつけていただきありがとうございます。実はNANAさんからも言われました。親を愛せる教員になってほしいと。ここに書くには長過ぎると思うので,次の記事にして,コメントに対しての私なりの思いをアップします。
奈々氏
2006/01/22 17:26
わたしの記事をこんなにも大きくとり上げていただき、ありがとうございます。恐縮しています。
 仮に保護者と共通理解に至らなかったとしても、お子さんが個別支援級かふつう学級かがすべてではないと思います。どれだけ思いを共有できたかが大事なのではないでしょうか。
 保護者の思い、願いをどれだけ学校は受けとめることができたか、逆にどれだけ理解してもらうことができたか、そこが大事なのではないでしょうか。
 
toshi
2006/01/22 21:10
 わたしは、こんなことを保護者から言われたことがあります。
「校長先生。ほんとうにありがとうございます。校長先生のおっしゃることはよくわかりました。うちの子のことをこんなにも気にかけてくださってありがとうございます。ほんとうに感謝しています。この学校なら安心して我が子を入学させることができる。そう思います。でも、お許しください。もう、親のわがままなのですが、どうしても、我が子への親としての期待が捨てきれないのです。親はここまでできるのではないかという思いが抜けないのです。「できるようになる可能性はあるよ。」とおっしゃってくださる方もいて、ほんとうにごめんなさい。ふつう級に入学させてください。」
 わたし、思いました。ここまでおっしゃっていただけたなら、もう十分ではないか。後は学校が、どれだけ親の思いを受け止めた実践ができるか。そこが勝負だ。そう思いました。
 どちらに入るかも大事ですが、いかに分かり合えるかはもっと大事です。
 ごめんなさい。ちょっと言いすぎたかもしれません。
toshi
2006/01/22 21:11
元校長先生,コメントつけていただき感謝です。最後の3段落分,耳が痛くて涙が出そうです。Aちゃんを高学年で引き受けたときには,実態をまだ良く飲み込めていませんでした。学習に問題があるんだなというくらいでした。でも,もっと根っこの部分が,問題だったと今なら冷静に分析できます。が,今ならどうするのかと聞かれると,やはり悩んでしまいますというのが,実感です。
どれだけの想いを共有できたのかという言葉はしばらく忘れられそうにありません。。。
奈々氏
2006/01/22 21:23

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